賢者の仕事、賢者の健康

Vol.14仕事を成功させる日本の"パスワーク"
苅部俊二氏 インタビュー(前編)

「選手の主観」を理解するために必要なこと

− そういったポジティブな空気を作っていくための秘訣とは?

苅部うーん、やっぱり「信頼関係」を作っていくことだと思います。選手たちとは合宿や競技会でコミュニケーションを密に取るようにしてます。日頃指導しているチームではないので、信頼関係を築くことが余計に大切ですね。

その際に気をつけているのは、まず「選手の主観」を大事にするということ。例えば「地面に足が着いた時にどう感じるか?」の捉え方は人によって違うんですが、そこを一律横並びにしようなんて思わないですね。練習方法もそれぞれのやり方でいいと思います。「こうしろ」なんてことは言いません。もちろん、向こうから求められたら、アドバイスはするんですが。

ようは僕らが担当しているのは「客観」ですから。選手の主観と僕らの客観にブレがあったらそこをどう修正していくかっていう話なんですが、なるべく選手の主観に合わせようとしてるんです。「どういうふうに感じながら、この子はやってるんだろう?」と。まずそこをわかりたいんですよ。

ただ、「主観がちょっとおかしい?」と感じることもあって、そういう時は直します。選手自身が思ってることと、実際にその人のやってることが一致してないケースもありますから。

− 「選手の主観」を理解する際のコツみたいなものってあるんでしょうか。他人の主観って知りたくてもなかなかわからないことも多い気がして。

苅部大事なのは「言葉にできない感覚をいかに捉えるか?」ですね。特に我々の場合、運動感覚を扱ってますから、選手たちも「バーンとやってみたんですけど…」といった言い方になるわけです。そしたらこちらも「ギュッと走って」とか「グイグイ行こうよ」なんて擬音化してみたり。彼らの持ってる身体感覚から出てくる言葉を、私のほうでも理解できないとコミュニケーションは成立しませんから。

攻めてなんぼですからね、我々は

− 今おっしゃったような「感覚的な言葉」って職場でも大事な気がしますね。もちろんロジックは大事なんですが、やっぱりそれだけだと伝わりきれないものもあって、それが"バトンミス"につながることもあるんじゃないかと。

苅部よく「暗黙知」とか「身体知」なんて言うように、人間の思考は言語化できない部分も大きいですからね。

ただ興味深いことに、トップ選手になってくると、さっき言った擬音や陸上特有の感覚的な言い回しで伝わるようになるんですよ。彼らの言ってる言葉がわかるんです。選手じゃない人たちからすると、「何言ってるんだ? この人たち」って思うような会話を我々はしてます(笑)。「自転車を漕ぐような感じで回していこう」とか「もっと地面を踏んでいきなさい」なんて。

− どんな領域の仕事でも、デキる人はコミュニケーションが洗練されてますね。その部分もないと、信頼関係も作りづらいというか。

苅部最後の最後は信頼ですね。選手にとってバトンパスは怖さを伴うことでもありますから、そこでブレーキしないで行くには、やっぱり相手への信頼がないと。実はリオでもちょっと危ない橋を渡っているんです。予選と決勝で作戦を変えましたから。結果的にメダルが取れたから良かったんですけど、一歩間違えたら…。

− そうだったんですね。作戦はどう変わったんでしょう?

苅部決勝でかなりの修正をしました。予選は全体2位で通過してメダル圏内だったんですが、ジャマイカはボルト選手を、イギリスはキルティ選手を温存してましたし、カナダも200mで銀を獲ったデグラッセ選手を予選で使ってなかったんですよ。

決勝では彼らをぶつけてくるわけですからね。すごくレベルの高い試合になることは予想できました。そしたら予選のタイムだと、もしかしたら4位や5位で「メダル惜しかったね」で終わるかもしれない。

で、選手たちには当日、「もうちょっと攻めたいけどどうする?」って伝え、前の日のビデオを見ながら「ここは修正できるよね」って話をして挑んだんです。

− もう練習して試せないだけに、リスクが高くなる作戦でもありますね?

苅部ええ、リスクを取りましたね。「相手を信頼して思いっ切りやろう。そしたら絶対バトン追いついてくるから」って言いました。「失敗したらオレらが責任取るから」って。ゼロかメダルか、あるいは無難に4番か5番。「どっちを取る?」って聞いたら、全員が「メダルを獲りに行きましょう!」と。

− 400mの距離の中に、それまでのトレーニングからデータや理論、信頼関係、決断、運なども含めたすごい背景があるんですね。あの37秒くらいの時間の中にそれら全部が濃縮されてるというか。

苅部まあ、今回は色んなピースがうまく組み合わさりました。外れてたらと思うとヒヤヒヤですけど(笑)。とは言え、僕ら守るもの何もないので。攻めてなんぼですからね、我々は。

>>後編に続く

編集者/東北芸術工科大学客員教授 河尻 亨一

PROFILE

編集者/東北芸術工科大学客員教授河尻 亨一
雑誌「広告批評」在籍中には、広告を中心に多様なカルチャー領域とメディア、社会事象を横断する様々な特集を手がけ、多くのクリエイター、企業のキーパーソンにインタビューを行う。
現在は実験型の編集レーベル「銀河ライター」を主宰し、取材・執筆からイベントのファシリテーション、企業コンテンツの企画制作なども。
  • カメラマン 瀬谷壮士
  • 更新日 2017.03.01