賢者の仕事、賢者の健康

Vol.12自分にエネルギーを向け始めてから人生バラ色に変わりましたね
陳建一氏 インタビュー(後編)

「料理は楽しいよ!」ってことを伝えるのが僕の役割

− さっき"エア包丁”されてる時の動きも、ビビるほど高速でした。

せっかちだから。その性格を直せと言われて、少しは反省もし、ちょっとはのんびりしようかというのはありますけど、まあ、そこは成長しましたね。昔に比べれば丸くなった。若い時は尖ってたからさ、「絶対にやるんだ!」くらいの気迫でやってたけど、そんなの通用しないっていうのもわかった。そのやり方だと、振り返ったら誰もいないもんね。

− ついてくる人がいなくなっちゃう?

そう。いまは結構のんびりやってますけどね。でも、持って生まれたものはあるんです。しょうがないよ、こればっかりは。うちの調理場を見渡しても、入ったらすぐ笑顔を返せる子もいれば、ブスッとしてる子もいるよね。性格はしょうがない。

ただ、その子にもいい面があるわけだから、いいところをもっと活かさないと、総合的に仕事ができなくなってくる。そいつも大事な戦力だってことを本人にわからせてあげないと、そいつの立場がなくなるよね。そしたらかわいそうよね? しかも僕たちの仲間で戦力なんだから。「どんくさいなあ、ほんと。でもお前も大事なんだよ。お前がいるから僕たちもあるんだよ」ってことを教えてあげないとさ。

ようはね、そこなんですよ。店はその仲間の輪でやってるんだから。だって、そいつもいないと困るんだよ? 優秀なのはね、ほっといても優秀だから。一人でもパカパカ行っちゃいますよ。やがては独立するだろうし。でも中にはね、独立しない子もいるんですよ。したくないの。でも、それはそれでいいの。持って生まれたその子の性格なんだから。僕だってさ、いまどっかの料理長やってくれなんて言われたってできないよ。だってゴルフ場にいるんだから(笑)。

− いまは経営の一線は退かれてますけど、陳さんのような社長って珍しいんじゃないでしょうか。

どうだろう? わかんないですね。僕の友だちにも面白い人いっぱいいるし。まあ、僕はとにかく楽しく生きたいから、人生。

− 楽しく生きたいと思ってきた途中でも人生嫌になったことはないんですか?

ありますよ。そりゃ若い時には挫折があってさ。うちの父は偉大だからね。父のような料理ができないって思って、「ここはどこ? 私は誰?」の世界に行ったこともある。誰とも会いたくないような…まあ鬱か? それも経験してるから鬱の人にね、頑張れっていうのは言えませんよ。

悩んでた時、カミさんのひと言でハッと気づいた

− ちなみにそれ、おいくつくらいの時ですか?

30歳の手前。で、人間ってみんなそういうことを経験していくんですよね。仕事しないと生きていけないじゃないですか。そりゃ当たり前の話ですよ。生活しなきゃいけないんだから。

でも、その仕事が自分にとってさ、楽しくないと続かないと思うんだよね。僕はいまだにさ、料理学校教えに行くんですよ。 そしたら「そこにいる若い子たちを、どうやったらこの楽しい世界に引きこめるかな?」と思いながら授業に臨むんだから。「こんなおいしいものを作れるぜ。楽しいよ! カッコいいぜ!」ってことを伝えるのが僕の役割だと思ってるんですよね。

さらにめっちゃくちゃ厳密に言うとね、実習というのもやるんですよ。すると、とにかくどんくさい。「お前ら何見てたんだよ? このヤロー」って言いたくなるけど、それは置いとくの。「あ、いいんだよ、それで!」って心にもないことを平気で言う(笑)。でも、いいんですよ、楽しくなくちゃ、面白くなくちゃいけないからね。

こないだなんて授業で「炎の麻婆豆腐」歌っちゃったから(笑)。あるのよ、嘉門達夫さんが作ってくれた麻婆豆腐の歌が。嘉門さんが店に来て、調理場で歌ってくれたの。それがあまりにも良くて。そういうのは大好き。

− お店のレジのところにCD置いてました(笑)。ところで、さっきおっしゃっていた悩みは、どうやって乗り越えたんですか。

結局ね、うちの父の味を求めてたんですよ。でも、それは不可能だってことに気づいたんですよね。味っていうのは一代限りなんです。つまり、陳建民の味は陳建一の味じゃないし、陳建一の味は陳建太郎の味じゃない。

もちろん店があるから、担々麺もちゃんと方程式があって手作りでやってるわけ。麻婆豆腐も豆板醤はどこの豆板醤、豆腐はここの豆腐というふうに全部選んで作り方の基準もある。平均に収まる範囲でみんなができる味はあるんです。それでもやっぱり、この人じゃなきゃ出せない味っていうのもあるのね。

で、若い頃はうちの父の味目指して全エネルギーを注いでたわけ。親父と同じ味のを作ろう作ろうって。すると挫折するわけですよ。壁があまりにもデカいんで。でも、結局それをやめたわけ。自分に賭けたわけ。わかります? 自分が頑張ろう、自分のファンを増やそうと。それってめちゃくちゃ自然なエネルギーなんですよ。そしたら自分が一生懸命やればいいわけ。 そっちにエネルギーを向け始めてから自然とね、元気になっていったんですよ。

きっかけは、うちのかみさんのひと言ですね。僕があまりにも沈んでたから、かみさんがある日、「あんたなんで陳建民、陳建民ってお父さんのことばっかり。自分のためにやりゃいいじゃない?」って。その時ハッと気づいた。なんだ、そんなことだったのかって。

そこからバラ色の人生が始まったわけですよ。某料理番組のオファーも来たわけですよ。 あれは僕にもってこいの番組でしたよね。僕、勝ち負けなんかどうでもいいと思ってた。だって負けてもまた出られるんだから(笑)。思い出してくださいよ? 最初の頃、コロコロ負けてたの僕だから(笑)。